光武 蔵人 Kurando
Mitsutake
映画監督・俳優
1973年生まれ。東京都出身。幼年期に見たスティーブン・スピルバーグ監督作品『激突』に感動。同じころ午後のテレビ放映でたまたま見た三隅研次監督作品『子連れ狼 三途の川の乳母車』の残酷チャンバラに激しいトラウマを受け、映画監督を志す。そのまま約30年、映画バカとして映画製作にこだわり続け、現在に至る。
1990年、単身アメリカの高校へ留学。映画を学びたいという情熱を追い、サンフランシスコ芸術大学(San Francisco Art
Institute)に入学。2年後、カリフォルニア芸術大学(California Institute of The
Arts)に転入、1996年に学士号を得る。1998年、同大学院修士号を修得し、卒業。
また、在学中、大ファンであった映画監督・岡本喜八が、アメリカンシネマテック主催/日本国際交流基金協賛の「ジャパニーズ・アウトロー・マスターズ」映画特集に参加するため訪米。その噂を聞き、当時の国際交流基金ロサンゼルス支局長に直訴し、岡本監督の通訳兼付き人の大役を射止める。以来、岡本監督に師事。(公私に渡る師弟関係は、2005年に岡本監督が逝去するまで続いた。監督亡き後も、岡本みね子夫人の付き人として2006年ゆうばり映画祭における『肉弾』特別上映に参加した。)
卒業後は、ロサンゼルスにある日系テレビコーディネーション会社に就職し、約2年間、コーディネーターとして『NHK特集』や『世界ふしぎ発見!』などの現場に参加。SONY
VaioNetロサンゼルス情報番組『@TV』でディレクターデビュー。コーディネート会社を退職し、フリーのディレクターとして味の素USAの北米用CFなどを演出した。その後、ラインプロデューサーとして米映画会社New
Line
Cinema製作の『ラッシュアワー』、『ロスト・イン・スペース』、『ブレイド』などのDVD映像特典制作に参加。また2005年には、東映作品『燃ゆるとき』(細野辰興監督)での、ロサンゼルス撮影部分のラインプロデューサーに抜擢された。『呪怨パンデミック』(清水崇監督)では、ロサンゼルスのポストプロダクションにて特殊視覚効果チームの通訳を担当。シカゴでの追加撮影では清水監督の助監督を務めた。『シャッター』(落合正幸監督)でも、監督アシスタントとしてロサンゼルスでの編集作業に参加した。
2004年、念願の初長編映画監督作品『Monsters Don’t Get to
Cry』を制作。2007年3月には邦題『モンスターズ』として(株)マグザムよりDVD配給が実現した。
また、同じ2007年、俳優をしている友人のエージェントにスカウトされ、俳優活動を開始。特異なルックスと存在感がウケ、人気ドラマシリーズ『アグリー・ベティ』(シーズン1第4話)、『Heroes/ヒーローズ』(シーズン2第2話、第6話)などに出演。現在、アメリカ映画俳優協会所属。
2008年には、「今の自分のすべてを賭ける作品」として、幼い頃からの残酷チャンバラ愛を爆発させた長編映画第2作目『Samurai
Avenger: The Blind
Wolf』を監督、主演。脚本と製作も共同で手がけた。なお同作品は、師・岡本喜八監督に捧げられている。
|