【恩師】


岡本喜八監督がお亡くなりになりました。ご冥福を心よりお祈りいたします。


映画の神様になられた岡本監督。念願の長編映画40本目を撮ることなく往かれたのが残念でなりません。しかし、監督が我々に遺してくれた39本の傑作映画は永遠です。

学生のころ、日本映画の素晴らしさに目覚めたとき、岡本監督の作品に出会いました。他の監督とは全く違う斬新なオリジナリティを持つ傑作の数々に圧倒され、すぐに大ファンとなりました。
 

97年の夏、日本国際交流基金のLAオフィスでインターンをしていた自分は、交流基金とアメリカンシネマテックの共同主催で「ジャパニーズ・アウトロー・マスターズ」という映画祭が行われる事を知ります。そしてそのスペシャルゲストが岡本監督でした。憧れの大監督に近づくため、当時のLA支部長、辻本氏に頼み込んで岡本監督の通訳兼付き人の大役を射止めることに成功しました。映画祭で上映された「大菩薩峠」、「斬る」等の岡本監督代表作品の映写を監督ご本人の横で拝見し、アメリカ人の観客と監督のQ&Aを通訳させていただけたことは、本当に最高の経験でした。

先生と呼ばれるのを嫌い、「俺は先生じゃないから」と言われた監督。初めてお会いして以来、作品の素晴らしさはもとより、人としての岡本監督に感動して、師と仰がせていただきました。ニューヨークで「EAST MEETS WEST」の上映があったときにも声を掛けていただき、再度、通訳兼付き人としてご一緒させていただきました。LAとNYでの日々や、日本で会っていただいた時間は、自分にとって、7年間行った映画学科よりも勉強になり、刺激となったと言っても過言ではありません。

大学院の卒業制作映画を見ていただいたとき、「だんだんカメラを動かせるようになってきてる」と評していただいた嬉しさを今でもはっきりと覚えています。肉食だった監督お手製のすき焼の味、監督と一緒に飲ませていただいたシーバスの味、そして監督のお話。すべてが、自分の宝です。

岡本監督に憧れて真似をさせてもらっている、俺のサングラス+黒ずくめのスタイル。格好だけでなく、1000分の1でも、500分の1でも岡本喜八監督のような映画監督になれるように、俺はこれからも進んで行きます。

映画の天国でまたお目にかかれる日を楽しみにしております。でも、まだ俺は映画の天国に入れてもらえないと思うので、あと何十年かは、こっちにいます。
監督、ご指導ありがとうございました。



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