【文化=余裕】



このコラムでも何回か俺の落語好きには触れさせてもらいましたが、先日、大好きな古今亭志ん朝師匠の録音を聞いていてドキッとさせられた名言があったので思わずメモをとりました。


『他愛の無いというところが、この、落語の良いところですな。
本当にね、このくだらないものに皆様方、お金を出して、お入りになって、聞いてくださるという、このカタチというのは真に素晴らしいモンですな。いわゆるこれが、あの、余裕、つまり文化ということなんじゃないかと私なんか思います。』

深い。粋だし。嫌味にならずさらっとこんなことが言えてしまうっていうのは、本当に粋ですよね。

一生をかけて落語という芸を極めている人なのに、きっと血の出るような努力をして落語という芸に打ち込んでる人なのに、さらりと『他愛の無いというところが、この、落語の良いところですな。』と言ってのける。『くだらないもの』とまで言う。ここに、常に自分よりお客様を立てるという『芸人』の心意気が現れてますね。


そして落語を聞くような『余裕』というものが『文化』なのだと。これって、実はすごくハイコンセプトな話です。『落語』自体が文化なのでは無く、落語を聞きに来てくれるお客さんがいる状態=『余裕』、これが『文化』だと言っているわけですから。
 

これは映画にも通じます。映画学科時代の授業で、缶に入って棚に置かれている状態のフィルムは『映画』では無いのだと教えてくれた教授がいました。彼は、フィルムが上映され、それを見てくれる人がいて、初めて『映画』は存在すると言ったのです。

映画も落語も見てくれる、聞いてくれるお客さんに支えられています。お客さんの余裕が文化なのです。

俺もいつか『他愛の無いというところが、この、映画の良いところですな。
本当にね、このくだらないものに皆様方、お金を出して、お入りになって、見てくださるという、このカタチというのは真に素晴らしいモンですな。いわゆるこれが、あの、余裕、つまり文化ということなんじゃないかと私なんか思います。』なんて言わせてもらいたいなと思ったわけです。
 



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