企画倒れ


残念無念。全力を注いで動かしていた映画企画をバラすことになりました。

今回は「サイレントソード」という僕の企画がどのような運命を辿ったかを書いてみようと思います。それによって僕自身への反省や新発見となるかと思います。また、映画企画を立ち上げようとしている皆さんへの多少なりともの参考となれば幸いです。

脚本は2001年の年末に以前籍を置かせてもらっていた映画制作会社で書きました。もともとの出発点は某有名俳優さんと仲が良かったその制作会社の社長が

「アメリカを舞台とした主演作を書いて欲しい」

と言ったところからでした。日本の俳優さんが英語をあまり話せなくともメインキャラが演じられるという課題を、「声を奪われた主人公」という設定でクリア。脚本も僕好みの男泣き復讐劇として納得のいく作品が仕上がりました。
当時一緒に企画数本を動かしていたプロデューサー氏は気に入ってくれたのですが、当の社長のノリはイマイチでした。

「復讐なんて古い」

と。(ナニほざいてるんだバカ状態ですが。)そうこうしているうちにその制作会社から独立した僕は2002年の春、岡本喜八監督の新作「助太刀屋助六」のニューヨーク上映に参加。プロモーションのために訪米された岡本みね子プロデューサーと風間トオルさんの通訳兼アシスタントをさせていただきました。そのとき風間さんがアメリカや海外で映画に出演したいという夢を持たれていることを聞かせていただき、これは!と思った僕は風間さんと郷原マネージャーに「サイレントソード」の脚本を渡します。

少し経って郷原さんから「日本で詳しくお話を」との連絡をいただき日本に飛びました。風間さんは大変脚本を気に入ってくださり、ぜひ一緒にやりましょうとの運びとなります。

主演が決まり、契約を済ませ、全て順調に行くかのように思われていたプロジェクト。ここからが大変でした。アメリカ対イラクの戦争が現実味を帯び、企画に興味を持ってくれていたアメリカの個人投資家が次々と降りていきます。(投資家は戦争の時期、お金を自分の手元に置いておこうとします。また投資をしても不動産だけだそうです。)

この時点で集まっていた制作費は1000万円。あと4000万円必要です。切羽詰った僕は日本への資金繰りに出かけます。これが2002年11月。

日本の不況は深刻。それ以上に深刻なのが日本のエンタメ業界の冒険心の無さです。今の日本で映画企画を通すには

1、テレビ局
  (自分の局で宣伝をするから)

2、配給会社
  (映画館を押さえられるから)

3、原作及びその出版社
  (本の売上げで映画の集客を読める
   から)

の3点セットが必要と言われています。一体全体、無名の新人にどうやったらそれをラインアップできるんじゃ!な感じです。僕の企画はオリジナル脚本だし、ダメモトで某テレビ局の方とお会いしましたがやっぱりダメ。映画会社は鼻も引っ掛けてくれないし・・・。

2002年年末の時点で日本の各方面の方々からお断りのメールや電話が届きます。しょうがないと腹をくくり、再度アメリカの投資家にアタックを開始しました。それが先月と今月。テキサスの医者からハリウッドの怪しい映画人までいろんな人に会いましたが結局NG。タイミングの悪さと僕の力不足を感じます。
これ以上風間さんにスタンバイしていただくわけにはいかないので今回の企画は残念ながらバラすことにしました。しかしこれで終わったとは思ってません。

会ってお話をした投資家の方々の大部分は「ストーリーは良い」とか、「アイデアは素晴らしい」と言ってくれました。タイミングが悪かったようです。すべての。

なので、僕的には延期です。中止ではありません。これからもっと力をつけて悪いタイミングもはね返すぐらいになってから再度この企画に挑むつもりであります!


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